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第9の関門は続く。 [うつ病関連]

毎度のことながら、
自分が落ちたときのバイブル。

うつからの完全脱出 9つの関門を突破せよ! (こころライブラリー)

うつからの完全脱出 9つの関門を突破せよ! (こころライブラリー)

  • 作者: 下園 壮太
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2006/10/21
  • メディア: 単行本



自らの存在に疑問を抱いている今日この頃、
この思いの原因は何なのか?

思った通り答えはあった。
「リハビリ中期に引き続き、うつになり始めのころに悩んでいたテーマが、いっそう大きな問題として頭をもたげてくる。これまでの親子関係、いじめ、失恋、友人の死、過去の悲惨な出来事などである。その問題は相変わらず存在している。うつから回復してきたとはいえ、その問題に対処できない自分は変わっていない。結局この問題のことを考えると、またうつ状態に戻る、或いはもう治らないのではないかと考えてしまう。こまた『もうこれ以上続けても無駄だ』と考えやすい。」
ここにこうしてタイピングすることで、
私は問題を再認識する。
そして対応策を読み返す。

「コツは決して一人で悩まないと言うこと。一人で悩むと、以前から慣れ親しんだ同じ思考パターンを繰り返してしまい、自責や無力感を感じやすくなる。だから、その問題を冷静に考えてみる。話をしてみる。うつのなりはじめとは違うアプローチをしてみる。同じこと、同じ考えをしていては、また苦しみが大きくなってしまう。」

これに関しては、
おそらく弱音が吐けるようになった分だけ、
主治医や同僚に愚痴っている。
もちろん一番頼りになるのは主治医だ。
でも近親者の死に対する自責の念について、
本当に話し合うべきなのは近親者であって、
彼ら彼女たちがどのようにとらえているのか、
どのように乗り越えてきたのか、
それを話し合うべきなのだろう。
「喪の仕事」を今更ながらしなければならない。
だけどそれがムリなことはわかっている。
彼ら彼女たちはその話題を避けている。
何よりなぜ私が自責の念を感じるのか理解できないから、
或いは「仕方がない」と割り切れる人たちだから、
私の思いを訴えても無駄なのだ。
だから自分でアプローチを変えるしかないと思った。

悪いことに、
この問題が頭に浮かんでくると、
最悪の対処法である「しがみつき」で自分にむち打つ。
今の私は最低最悪の状態に対して、
最低最悪の対処法をとっているだけだ。

こうなったら二つ目のコツに頼るしかない。
「具体的方法論がなくても、これまで学んできた『時期が来れば気分も変わる』を思い出し、三ヶ月後にもう一度真剣に悩もうというような気持ちで、問題を抱えたまま過ごすという工夫も効果がある。」
確かにとりあえず放っておいても、
この問題は何も変わらない。
何しろ死んだ人は二度と戻ってこないのだし。

と書いたところで気がついた。
そうだ。
答えはそこにあった。
「死んだ人は二度と戻ってこない」のだ。
私が悩もうが苦しもうが抑うつ状態になろうが、
ハッキリ言って死者にしてみれば、
「あんたの勝手」でしかない。
ある意味生き残ったものの傲慢でしかない。
自分が生きながらえた幸運ゆえに、
不運にも他界したものに自責の念を感じる自分に酔っている。
そういうことだったのか。
たとえ私が死に追い込んだのだとしても、
たとえ私の身代わりに死んだのだとしても、
それで悩んだところで彼らは甦らない。
こんな単純な事実に今まで全く気づかなかった。


いつも通りまたこの本に助けられた。
一面識もないけれど、
下園先生には本当に感謝している。
ついでと言っては失礼だが、
今回は伊集院光にも感謝している。
(わからない人は「のはなしさん」という参照願いたい)

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