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「生き残ってしまった」という罪。 [現実]

3.11の取材を通して、
「生き残ってしまった」と言う罪悪感を抱え、
苦しんでいる被災者がたくさんいると言うことを知った。

式典での被災者のスピーチ、
「限りない絶望、悲しみを抱いて涙を超えて強くなるしかありません。」
「最愛の人を失ったというのに自分が生きているという悲しみ。
 『生きることがつらい』。
 そう思う申し訳ない気持ち。
 生きていることが何なのか、生きていくことが何なのかを考えることさえできない日々が続きました。」
この言葉を聞きながら、
私はかける言葉がないことを実感していた。

私自身叔母を失って、
自分が生き残っている申し訳なさに苛まれ、
自らを失った経験があるだけに、
生き残った被災者たちのメンタルケアがとても気になる。

被災直後は毎日を過ごすだけで精一杯だっただろうが、
日に日に落ち着いて、
あれこれと考える余裕が生まれたとき、
或いは仕事もなく思い悩む時間が有り余るほどあるとき、
彼らの心は「罪悪感」に向かってしまうのではないだろうか。
一部の被災者は酒がないと眠れないと言い、
ある被災者はパチンコなどに依存しているとも言う。
(依存というのは過言かも知れないが)
それでも彼らがそうせざるを得ない気持ちは、
自らを責めることしかできなかった私にはわかる気がする。

自治体も国も救済に手が回らず、
孤立した病院で徐々に衰弱して死んでいった人たち、
それをなすすべもなく見守るしかなかった人たち、
津波に巻き込まれながら、
つないだ手を水流に分断されてしまい、
全ての家族を失いながら生き残った人たち、
フクイチのために町も村もバラバラになり、
コミュニティから切り離されて孤独な人たち。

物質的金銭的援助も大切だが、
今からより一層心的援助が必要なのだと思う。
私は自分を責め続けるさなかで、
アルコールにもギャンブルにも依存しなかった代わりに、
自殺念慮、貧困念慮という抑うつ状態に陥った。
「強くなるしかありません。」
その言葉に私は危険なものを感じている。
この1年を生き抜くだけでも充分に強くなってきたと思うし、
充分すぎるほど耐えてきたはずなのだ。
その上に「これ以上」を自分に課したら、
そのとき人は心の疲労に襲われてもおかしくない。

私は今でも時折「生き残ってしまった罪」を感じる。
それで死にたいとすぐに思わなくなった分だけ、
病気は良くなっているのだろう。
だけどその気持ちは簡単に払拭出来るものではない。
自分が強くなったとも思っていない。
強くなったからと言ってその思いと共存出来るとも思わない。

スコップ団が花火を打ち上げて、
「私たちは元気ですよ。」と空の上に知らせたように、
亡くなった方々に、
私たち生き残ったものが元気でいること、
生きて充実した時を過ごせるようになったこと、
そのことを知ってもらうことが一番なのかも知れない。
亡くなった方々のことを忘れたわけではないけれど、
生き残った私たちが力強く生きて、
一歩でも前に進んでいくこと、
そのことが供養にもなるのだと思わなければいけないのかも知れない。

これから先も過酷な現実は続いていく。
おそらく年単位で放射能の被害も出てくるだろう。
こころの援助に手を尽くしている方々もたくさんいるが、
それは主に民間レベルの話なのである。
これほどまでに情けない国にそれを期待出来ないだけに、
そこに頼らざるを得ないのも現実なのだ。
SNSでもblogでも何でも良い。
被災者と繋がって手をさしのべられる人はさしのべて欲しい。



正直言って、
私はアニバーサリー効果でやられてしまった。
私自身生き残ってしまった罪を感じている。
でも被災地にいない私がこんななのだから、
被災者やその家族は推して知るべし。
災害の残した傷は余りに深く根深い。
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