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「伝説のカルト映画館 大井武蔵野館の6392日」 [電子書籍]


伝説のカルト映画館 大井武蔵野館の6392日 (立東舎)

伝説のカルト映画館 大井武蔵野館の6392日 (立東舎)

  • 作者: 太田 和彦
  • 出版社/メーカー: リットーミュージック
  • 発売日: 2023/11/20
  • メディア: Kindle版


――「名画座中の名画座でした」山田宏一(映画評論家) 1981年から99年、東京・大井町に存在した名画座、大井武蔵野館。「見逃したら二度と観られない」と思わせるディープな作品ラインナップは映画通を唸らせ、石井輝男をはじめ多くの監督の再評価に貢献し、その発掘精神は映画メディアや今日の名画座にまで影響を与えています。本書はそんな同館の魅力を再検証するべく、元支配人や映写技師、関係者のインタビューや対談・鼎談、常連客アンケートなどを収録。さらに資料として、「全上映作品リスト」や、さまざまな媒体に掲載された同館関連の記事を収める他、太田和彦氏が同館を愛するあまり、個人的に発刊していた幻の新聞「大井武蔵野館ファンクラブ会報」の、全10号&30年目の最新号を掲載します。大井武蔵野館とはなんだったのか......。通った人も、間に合わなかった人も楽しめるバラエティブックです。

カルト映画が好きだ。
それは私の年齢では劇場では間に合わず、
TVでかなりむごい状態にカットされた状態で観た。 
それが多感な時期だったりするものだから、
親は決していい顔はしない。
私の場合中学時代から20歳の夏まで、
母親の介護と学業と言う生活の中で、
TVで観られる映画だけが楽しみだった。
正確に言えばアニメと映画だけど。



東京12チャンネルで土曜夜に放送されていた、
日本映画名作劇場」のインパクトはすごかった。
およそゴールデンの解説には出ないであろう品田雄吉氏に加え、
ATGだの大映だのかなりエロイ映画も多く、
当時高校生だった私にはそれすらもカルトだった。

そんなわけで、
母親が亡くなって学業に復帰して以降は、
時間を作っては名画座に通っていた。
学校が渋谷に近い半蔵門線だったので、
三軒茶屋東映、二子玉川とうきゅうにはよく通った。
当時は毎週「ぴあ」を購入して、
行かれる範囲と財布の範囲で観たい作品を探した。
大体名画座になると3本800円で学生は見られた。
3本全部見なくても、
自分が見たい作品だけを選んでも充分だった。
まだレンタルビデオが始まったばかりの頃で、
借りるのもかなりいい価格だった覚えがある。

確かな記憶ではないが、
大井武蔵野館も何度かは行ったと思う。
ただ定期で行かれる範囲ではなかったので、
それほど熱心ではなかった。

だからこの本を読んで悔しいと思った。
あと少し年齢が上であったなら、
おそらくはもっと通えていただろうし、
何とも巡り合わせが良くなかったようだ。
本誌でも語られる横浜の「シネマジャック&ベティ」も頑張っているが、
つい先日「閉館待ったなし!」という衝撃的なクラウドファンディングが行われた。
2スクリーンの昔ながらの劇場ではあるが、
ミニシアターとして新作の興味深いプログラムに余念がなく、
「いざとなったら阪東橋」と言うくらいに最後の牙城だ。
ロケーションもちょっと怪しくて素晴らしい。

そもそも名画座というものは、
シネコンの波ではなく、
消防法の規制によって消え去ったと思っている。
昔の映画館を知る人ならば、
座席指定などなく、
コンクリートの床に場末の喫茶店やバーでもあるような、
赤い別珍生地に包まれた硬いシート、
人気作なら立ち見も当たり前、
平日の空いた館内ではタバコを吸う強者も。
一方明らかにさぼっているであろう寝ているサラリーマン。
快適とは言えないまでも、
冷暖房完備で座席と空間を提供してくれる名画座は、
手ごろな休憩場所でもあったのだ。

今やシネコンで2000円払って休憩する人はいるまい。

巻末の上映ラインナップを見て、
自分が如何にカルト映画好きかを思い知らされたし、
見ていない作品は何とか見るすべを探している。
現在配信も大手だけではなく、
映画製作会社、配給会社が提供する配信チャンネルもあって、
古いカルト映画はそこでなければ観られなかったりする。
これもまた少し遅れた私が悪い。
何とも相性が良くないのだが、
それだけにそそられる気持ちが強くなる。
正直言って就職してからは、
なかなか時間が取れなくて、
本当に見たい新作をロードショー館で観るのが精いっぱいだったし。

それにしても巻末の全上映作品のリストは圧巻。 
思わず自分が行ったであろう記憶が確かな時期、
それを探ってみたら、
行ったのは大井ロマンの方だった。
確かに観たのは「ターミネーター」だったので、
洋画系の方だったのだろう。
面白いのは最初の頃は、
ヒット映画を2~3本かけるプログラムだったのが、
次第にレアでコアなカルト映画に流れていく点だ。
それは対談、鼎談、座談会などにもある通り、
月日の流れで映画業界が変わったり、
様々なフィルムに対応する映画館が少なくなったり、
何より客が集まるプログラムを選んで、
独自色を出していった結果だろう。
しかし何とも新東宝の題名と言うやつは、
余りにもインパクトが強くて困ったものだ。
あと大映も増村作品は原題通りとは言え、
妙にそそられる雰囲気が漂ってくる。
そしてやがて時間がたつにつれ、
そうしたフィルムも劣化してくるし、
実際送られてくるフィルムがひどいものだったという証言もある通り、
かかる映画もまた少しずつ新しいものに変化する。

今こんなこだわりのあるプログラムをかけるのは、
なかなか大変なことだろう。
池袋文芸坐はいつも頑張っているなぁと思うが、
残念ながらちょっと遠くて通うのが大変。
大好きなシネコヤはこういうプログラムではないのだが、
それはそれで好きな映画が多いので助かる。
しかしこんなカルト映画狂の巣窟になるような映画館は、
もうなかなか商売として成立しないだろうし、
なにより最近のシネコンなどの傾向を見ていると、
それで商売は成り立たないだろうと思う。

バブル期前夜からバブルがはじけるまで。
まさしく20世紀の終わりに咲いた徒花。
他のおしゃれなミニシアターとは違う存在。
こんな映画館がそばにあったなら、
そりゃ毎日でも通いたくなるのが映画好きのバカさ加減だ。
それが良いのだ。

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