SSブログ
電子書籍 ブログトップ
前の10件 | -

「MOCT 「ソ連」を伝えたモスクワ放送の日本人」 [電子書籍]


MOCT 「ソ連」を伝えたモスクワ放送の日本人

MOCT 「ソ連」を伝えたモスクワ放送の日本人

  • 作者: 青島 顕
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2023/11/24
  • メディア: 単行本


2023年 第21回 開高健ノンフィクション賞受賞作。
MOCT(モスト)とは、
ロシア語で「橋」「架け橋」のこと。
カバーの写真は、モスクワ市ピャートニツカヤ通り25番地にあったモスクワ放送。
その6階に「日本課」があった。
東西冷戦下、そこから発信される日本語放送。
その現場では、少なくない数の日本人が業務を担っていた。
彼らはどんな人物だったのか。
そして、志したのは報道だったのか、
プロパガンダ(政治的宣伝)だったのか。
それとも、両国に「MOCT(架け橋)」を築くことだったのか……。

友人が書店でこの本を探してもらった。 
そして一生懸命探してもらって買えたことに感謝していた。
そんなポストを読みながら、
「あ、私も読みたい」と思った。
私は簡単に電子書籍で買ってしまったが、
なかなか家で読書の時間が取れなくて、
会社で空き時間にPCで読むにはもっけの幸いなのだ。

なぜこの本に惹かれたのか。
理由は簡単。
大体1973年くらいの10年くらいだが、
私は意図せずにモスクワ放送を聴いていた。
聴いていたと言うよりは、
神奈川では受信しやすいニッポン放送、
その周波数と8khzしか離れていないモスクワ放送は、
昔のダイヤル式のチューナーでは良く聞こえて、
なんとなくそのまま聴くことがあったのだ。
そしてこの本の宣伝文句に「岡田嘉子」の文字。
戦前に共産主義の国へと愛人と亡命した女優。 
その名前にも惹かれていた。

当時は冷戦時代。
ソビエト連邦というのはコワイ国だと思っていた。
私有財産は許されず、
贅沢も許されず、
みんなが平等に勤労奉仕、
何かというとアメリカと対立して、
核の陰がちらついている国だった。
「共産主義」「社会主義」というものはよくわからなくても、
「自由がない国」という印象は強く持っていた。
その国から届けられる「モスクワ放送」。 
流暢な日本語で読み上げられるニュース。 
余り音楽を聴いた覚えはないのだが、
子供心に「日本語がうまいんだなー」と思っていた。
なにしろ小学生の頃だったから無知だった。 
そしてそれがプロパガンダだということも知らなかった。
ただ異国からの放送と言うことで、
なんとはなしに耳にしていた。

この本を手にするまで、
あれが日本人のアナウンサー、喋り手だったことを考えもしなかった。
思えばシベリア抑留などもあったし、
ソビエト連邦の日本人がいないはずもなく、
また岡田嘉子のことも知っていたが、
まさか彼女がそこで喋っていたことなど想像もしなかった。
ソビエト連邦の中の日本。
様々に指導者が替わり、
情勢も世の趨勢も変わり続ける中、
ラジオ放送からインターネット放送に形態を変更し、
そしてモスクワ放送はその役目を終えていた。

ラジオ放送によるプロパガンダは、
CIAも使っていた方法なので、
それをソ連がやらないはずもなく、
それによって少しでも共産主義、社会主義を広めること、
それを目的に放送は行われていた。
そしてそこに在籍した人たちの数奇な人生。
全く知らない人たちではあるが、
確実にこの人たちの声を私は聞いていたのだ。
在籍した人たちの人生を丹念に追ったリポート、
そこには不思議な人たちが集っていたように思う。
考えてみればアメポチである日本人、
その日本人の中でロシア語に堪能であったり、
望んでロシアに渡ったり駐在すると言うことは、
充分過ぎるほどにちょっと変わっている。
だから彼らの人生が謎に包まれていても、
或いは激しく「普通」と言われる道から外れていても、
それは全く何の不思議もないと思う。 
だからこそとても興味深く、
謎の多い人生だったりするのが面白い。
何よりもあの頃は想像もしなかった、
「日本人」がモスクワ放送で喋っていたという事実。
それが私には新鮮であり嬉しかった。

今はradikoで聴くようになり、
チューナーラジオはカーラジオくらいになった。
それも自動で音声を拾ってチューニングしてくれるから、
あまり予想外の音声を聞くこともない。
それはそれでクリアな音声で良いのだが、
なんともアナログな楽しみはなくなってしまった。
ある意味ソビエト連邦という巨大国家、
そのプロパガンダとして存在したモスクワ放送、
いまやラジオ放送ではプロパガンダにはならないだろうし、
今はインターネットという文明の利器が存在し、
かつての様なやり方は必要なくなった。
そしてソビエト連邦は解体して、
東欧諸国も民主化していった。

しかし今またロシアはかつてのソビエト連邦へと戻りたがっている。
それはプーチンとその取り巻きだけなのかもしれないが、
武器を手に取り、
自分達に逆らうものたちを毒殺している。
時代が逆行している。
かつてモスクワ放送に在籍し、
まだ存命の人たちは今何を思うだろう?
共産党がある以上当然とするのか、
スターリンの再来とするのか、
それとも新しいロシアの政治体制の在り方とするのか。
彼の国から遠くにいる私にはわからない。



余談だが、
あのオッペンハイマーの周囲には共産党員が多かった。
そんな話もまたいろいろと歴史として繋がっていて面白いと思っている。

コメント(0) 

「伝説のカルト映画館 大井武蔵野館の6392日」 [電子書籍]


伝説のカルト映画館 大井武蔵野館の6392日 (立東舎)

伝説のカルト映画館 大井武蔵野館の6392日 (立東舎)

  • 作者: 太田 和彦
  • 出版社/メーカー: リットーミュージック
  • 発売日: 2023/11/20
  • メディア: Kindle版


――「名画座中の名画座でした」山田宏一(映画評論家) 1981年から99年、東京・大井町に存在した名画座、大井武蔵野館。「見逃したら二度と観られない」と思わせるディープな作品ラインナップは映画通を唸らせ、石井輝男をはじめ多くの監督の再評価に貢献し、その発掘精神は映画メディアや今日の名画座にまで影響を与えています。本書はそんな同館の魅力を再検証するべく、元支配人や映写技師、関係者のインタビューや対談・鼎談、常連客アンケートなどを収録。さらに資料として、「全上映作品リスト」や、さまざまな媒体に掲載された同館関連の記事を収める他、太田和彦氏が同館を愛するあまり、個人的に発刊していた幻の新聞「大井武蔵野館ファンクラブ会報」の、全10号&30年目の最新号を掲載します。大井武蔵野館とはなんだったのか......。通った人も、間に合わなかった人も楽しめるバラエティブックです。

カルト映画が好きだ。
それは私の年齢では劇場では間に合わず、
TVでかなりむごい状態にカットされた状態で観た。 
それが多感な時期だったりするものだから、
親は決していい顔はしない。
私の場合中学時代から20歳の夏まで、
母親の介護と学業と言う生活の中で、
TVで観られる映画だけが楽しみだった。
正確に言えばアニメと映画だけど。



東京12チャンネルで土曜夜に放送されていた、
日本映画名作劇場」のインパクトはすごかった。
およそゴールデンの解説には出ないであろう品田雄吉氏に加え、
ATGだの大映だのかなりエロイ映画も多く、
当時高校生だった私にはそれすらもカルトだった。

そんなわけで、
母親が亡くなって学業に復帰して以降は、
時間を作っては名画座に通っていた。
学校が渋谷に近い半蔵門線だったので、
三軒茶屋東映、二子玉川とうきゅうにはよく通った。
当時は毎週「ぴあ」を購入して、
行かれる範囲と財布の範囲で観たい作品を探した。
大体名画座になると3本800円で学生は見られた。
3本全部見なくても、
自分が見たい作品だけを選んでも充分だった。
まだレンタルビデオが始まったばかりの頃で、
借りるのもかなりいい価格だった覚えがある。

確かな記憶ではないが、
大井武蔵野館も何度かは行ったと思う。
ただ定期で行かれる範囲ではなかったので、
それほど熱心ではなかった。

だからこの本を読んで悔しいと思った。
あと少し年齢が上であったなら、
おそらくはもっと通えていただろうし、
何とも巡り合わせが良くなかったようだ。
本誌でも語られる横浜の「シネマジャック&ベティ」も頑張っているが、
つい先日「閉館待ったなし!」という衝撃的なクラウドファンディングが行われた。
2スクリーンの昔ながらの劇場ではあるが、
ミニシアターとして新作の興味深いプログラムに余念がなく、
「いざとなったら阪東橋」と言うくらいに最後の牙城だ。
ロケーションもちょっと怪しくて素晴らしい。

そもそも名画座というものは、
シネコンの波ではなく、
消防法の規制によって消え去ったと思っている。
昔の映画館を知る人ならば、
座席指定などなく、
コンクリートの床に場末の喫茶店やバーでもあるような、
赤い別珍生地に包まれた硬いシート、
人気作なら立ち見も当たり前、
平日の空いた館内ではタバコを吸う強者も。
一方明らかにさぼっているであろう寝ているサラリーマン。
快適とは言えないまでも、
冷暖房完備で座席と空間を提供してくれる名画座は、
手ごろな休憩場所でもあったのだ。

今やシネコンで2000円払って休憩する人はいるまい。

巻末の上映ラインナップを見て、
自分が如何にカルト映画好きかを思い知らされたし、
見ていない作品は何とか見るすべを探している。
現在配信も大手だけではなく、
映画製作会社、配給会社が提供する配信チャンネルもあって、
古いカルト映画はそこでなければ観られなかったりする。
これもまた少し遅れた私が悪い。
何とも相性が良くないのだが、
それだけにそそられる気持ちが強くなる。
正直言って就職してからは、
なかなか時間が取れなくて、
本当に見たい新作をロードショー館で観るのが精いっぱいだったし。

それにしても巻末の全上映作品のリストは圧巻。 
思わず自分が行ったであろう記憶が確かな時期、
それを探ってみたら、
行ったのは大井ロマンの方だった。
確かに観たのは「ターミネーター」だったので、
洋画系の方だったのだろう。
面白いのは最初の頃は、
ヒット映画を2~3本かけるプログラムだったのが、
次第にレアでコアなカルト映画に流れていく点だ。
それは対談、鼎談、座談会などにもある通り、
月日の流れで映画業界が変わったり、
様々なフィルムに対応する映画館が少なくなったり、
何より客が集まるプログラムを選んで、
独自色を出していった結果だろう。
しかし何とも新東宝の題名と言うやつは、
余りにもインパクトが強くて困ったものだ。
あと大映も増村作品は原題通りとは言え、
妙にそそられる雰囲気が漂ってくる。
そしてやがて時間がたつにつれ、
そうしたフィルムも劣化してくるし、
実際送られてくるフィルムがひどいものだったという証言もある通り、
かかる映画もまた少しずつ新しいものに変化する。

今こんなこだわりのあるプログラムをかけるのは、
なかなか大変なことだろう。
池袋文芸坐はいつも頑張っているなぁと思うが、
残念ながらちょっと遠くて通うのが大変。
大好きなシネコヤはこういうプログラムではないのだが、
それはそれで好きな映画が多いので助かる。
しかしこんなカルト映画狂の巣窟になるような映画館は、
もうなかなか商売として成立しないだろうし、
なにより最近のシネコンなどの傾向を見ていると、
それで商売は成り立たないだろうと思う。

バブル期前夜からバブルがはじけるまで。
まさしく20世紀の終わりに咲いた徒花。
他のおしゃれなミニシアターとは違う存在。
こんな映画館がそばにあったなら、
そりゃ毎日でも通いたくなるのが映画好きのバカさ加減だ。
それが良いのだ。

コメント(0) 

「福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇」 [電子書籍]


福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇

福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇

  • 作者: 辻野 弥生
  • 出版社/メーカー: 五月書房新社
  • 発売日: 2023/07/25
  • メディア: Kindle版


四国から千葉へやってきた行商人達が朝鮮人と疑いをかけられ、正義を掲げる自警団によって幼児、妊婦を含む9名が惨殺された。
映画『福田村事件』(森達也監修)が依拠した史科書籍。長きに渡るタブー事件を掘り起こした名著。【森達也監督の特別寄稿付き】
「辻野さん、ぜひ調べてください。......地元の人間には書けないから」
その時から、歴史好きの平凡な主婦の挑戦が始まった。
「アンタ、何を言い出すんだ!」と怒鳴られつつ取材と調査を進め、2013年に旧著『福田村事件』を地方出版社から上梓したものの、版元の廃業で本は絶版に。
しかし数年後、ひとりの編集者が「復刊しませんか?」と声をかけてきた。
さらに数年後、とある監督が「映画にしたいのです」と申し入れてきた──。
福田村・田中村事件についてのまとまった唯一の書籍が関東大震災100年の今年2023年、増補改訂版として満を持して刊行!

映画「福田村事件」は厳密に言えばフィクションである。
現実に起こった事件をモデルにはしているが、
歴史の狭間に埋もれた事件であり、
モデルになった行商団もいるし、
村民の記録もあるけれど、
それ以上に想像で補われた部分、
或いは創造された部分やキャラクターの存在は明らか。

ならば本当の福田村事件とは?

出版社の廃業により、
絶版となっていた本書が復刊された。
だから幸運にも我々は読むことができる。
丹念に集めた当時の事件や裁判を報道する記事も。
だからいくら「政府内に記録がない」と官房長官が言おうと、
それぞれの自治体や新聞には記録が残っているのだ。
内務省が不逞鮮人によって井戸に毒が投げ入れられた、
そこかしこで火付けを行っている、
テロ行為を行っているという通達を出し、
戒厳令によって帝都を軍の統治下に置き、
警察によって主義者たちの虐殺行為を行い、
その後は警察は黙認状態で(当時の警視庁官房主事は正力松太郎!)、
日本人、朝鮮人、中国人が多く言われなく殺された。

福田村事件は今の千葉県野田市。
そこに折悪しく行き会わせた香川からの行商団。
折悪しく関東大震災が起こり、
内務省の通達、噂話、不確かな情報、
それが村の人たちの不安をあおり立てる。
聴いたこともない放言を喋る一団を、
無抵抗な子どもや妊婦まで含めて殺害。
事件は決して闇に葬られたわけではなく、
実行犯たちは裁判にかけられた。
しかしその抗弁は、
「国を憂えて」と言いながら、
さも国を村を守るために立ち上がったかのような。

行商団が被差別部落出身者であること、
このことも事件の存在を隠してしまった。
通常ならば家族や自治体によって抗議され、
事件は明らかにされて補償問題にもなるだろう。
そして香川県と千葉県の距離。
これもまた調査や抗議の妨げとなった。

そうして公になること時間は過ぎていく。

いくら時の政府や首長が認めなくても、
こうした丹念な調査によって、
多くの虐殺行為があったことが明らかになっている。
記憶は差だけではないが、
教科書にはなくても授業で話を聴いたような気もする。
なにより無事に香川に帰り着いた一行の生き残り、
この人の証言が物語る身の毛もよだつ狂気。

ただ。
恐怖や不安をあおり立てる噂話、
それによって誰もが凶器を手に取る可能性があるし、
逆にその犠牲になる可能性がある。
そのことだけは忘れてはならない。
戦争もパニックも同じ。
正義がどこにあるかはまだら模様になる。
現代でも同じこと。
SNSの言葉に踊らされ、
或いはワイドショーの放送に煽られ、
時と場合によっては、
早まった情報で舞い上がる首長の会見に踊らされ、
人はあちらこちらへと揺れ動く。



真実はそこにある。
でも真相は必ずしも記録されない。
それは今も同じ。

もう一度。
「政府に記録はない」。
真相は必ずしも記録されない。
いや、記録はないと言われてしまうことでなかったことになる。



コメント(0) 

「ネット右翼になった父」 [電子書籍]


ネット右翼になった父 (講談社現代新書)

ネット右翼になった父 (講談社現代新書)

  • 作者: 鈴木大介
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2023/01/18
  • メディア: Kindle版


<本書の内容>
社会的弱者に自己責任論をかざし、
嫌韓嫌中ワードを使うようになった父。
息子は言葉を失い、心を閉ざしてしまう。
父はいつから、なぜ、ネット右翼になってしまったのか? 
父は本当にネット右翼だったのか?
そもそもネトウヨの定義とは何か? 保守とは何か?
対話の回復を拒んだまま、
末期がんの父を看取ってしまった息子は、苦悩し、煩悶する。
父と家族の間にできた分断は不可避だったのか? 
解消は不可能なのか?
コミュニケーション不全に陥った親子に贈る、
失望と落胆、のち愛と希望の家族論!

結論から言ってしまう。
本書の内容は、
「いかにして僕は父がネット右翼になったと思い込んだか」ということだ。
機能不全の家庭において、
不器用な父親と不器用な息子が、
父の死を前にしてお互いに言葉を飲み込んだが故、
或いは今どきの言葉を使ってみたが故、
お互いが歩み寄ることもできず、
残念な状況となったことを思い返し、
息子が父親の生きてきた足跡とともに、
本当の父親がどんな人だったかの証言を集め、
その父親がなぜヘイトまがいの言葉を吐いたり、
ネット右翼と呼ばれる人たちの読むような雑誌を読み、
息子なら絶対に見たくないYouTubeの映像を流し続けたのか。
それをつぶさに検証して自分の思い込み、
ある意味バイアスがかかった思考に気づく話である。

そういう意味ではネトウヨについて論じてもいないし、
ついでに言えば、
ある意味父親の死後に気づいた、
息子の悔恨の物語である。
これは私にも覚えがあるが、
親が死んだ後になって、
「あの時ああしていれば」という思いは誰しも抱くと思う。
「やり切ったから満足」とはなかなか思えない。
若いころに看取ったとしても、
大往生を看取ったとしても、
それぞれに心残りはあるし、
また近い関係だったからこそ分かり合えず、
なぜもっとわかってあげられなかったのかと考えることもある。
ただ昔からの苦手意識が障壁となり、
世間で「ネトウヨ」から好まれる雑誌を父の生活に見つけたり、
差別用語や差別的な発言をする父親に、
「ネトウヨ」のレッテルを張ってしまったがゆえに、
父親の命が残り少ないとわかっていながらも、
父親に寄り添うことができなかった息子。
遺された息子がその距離と溝を埋める作業。
それは苦しくとてもつらい。
認知行動療法と同じだ。
互いにバイアスがかかった思考で接しあい、
互いにバイアスがかかった思い込みで互いを判断する。
そのバイアスを認知して修正する苦しさは、
認知行動療法をやった私には痛いほどわかる。
ただそれでも私は死んだ母親について、
向き合うことができないままだ。
客観的に母親の偉大さも、
病気にさいなまれた精神状態の不安定さを今なら多少理解するが、
それを未成年だった自分にぶつけてきた母親を、
今も理解できるとは思えないし、
理解しようとも思っていないから。

筆者が「アシタノカレッジ」「ゴールデンラジオ」にゲスト出演し、
その時の話を聴いていて、
余りにも意気消沈しているのが気になって読んでみたが、
なるほどそりゃ意気消沈もするだろう。
息子として悔恨の情がありありと描かれている。

その痛々しさがしみる後半ではあるが、
自分自身日に日に保守化して、
先祖に回帰していくような価値観を口にする父親、
この人にはほとほと閉口しているので、
もしかしたら自分もよく考えればそういうことなのかもという危惧も抱く。

こうした身内の心のうちを探る作業はつらい。
いろいろと異論もあろうが、
こうした作業を必死にやろうとしたその姿勢、
それが何よりも自分にはないものなので心に響いた。


コメント(0) 

「とりあえずお湯わかせ」 [電子書籍]


とりあえずお湯わかせ

とりあえずお湯わかせ

  • 作者: 柚木 麻子
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2022/10/19
  • メディア: Kindle版


このエッセイもまた、公開の日記帳だ。前向きで後ろ向きで、頑張り屋で怠け者で、かしこく浅はか、独特な人物の日々の記録だ(前書きより)――はじめての育児に奮闘し、新しい食べ物に出会い、友人を招いたり、出かけたり――。そんな日々はコロナによって一転、自粛生活に。閉じこもる中で徐々に気が付く、世の中の理不尽や分断。それぞれの立場でNOを言っていくことの大切さ、声を上げることで確実に変わっていく、世の中の空気。食と料理を通して、2018年から2022年の4年間を記録した、人気作家・柚木麻子のエッセイ集。各章終わりには書下ろしエッセイも収載。

会社での空き時間にPCで読んでいたら、
年をまたいでしまったw。 
というか、もう春だw。

柚木麻子の小説が楽しくて、
一時よく読んでいた。
食べ物にまつわる話が多くて、
「この作家はきっと食べ物が大好きなんだろう」
簡単にそう想像できるくらいだった。
だから当然エッセイにもたくさん食べ物が登場するだろうと思った。
そもそも「とりあえずお湯わかせ」という言葉自体、
料理をする者にとっては基本だし、
お湯さえわかせばお茶も飲めるし、
菜っ葉も面も茹でられるし、
カップラーメンだってインスタントラーメンだって食べられる。

読み始めてこのエッセイの掲載誌が、
料理のテキストだったことに納得。
しかし。
食べ物の話が中心かと思いきや、
育児と生活の話が中心になっている。
私生活を全然存じ上げないので、
そんなことになっているとはつゆ知らず。
そりゃ育児の最中に手の込んだ料理とかは無縁になる。
実際子供の離乳食の作り置きに追われている。
それでも手作りの離乳食をちゃんと用意するからすごいのだ。
いまは簡単に回答するだけの離乳食で、
安心安全なものも多いから手抜きはいくらでもできるのに。
そして忙しいながらも丁寧な生活をしていた(であろう)ところにやってくるコロナ禍。
これによって肺に持病を持つ筆者はほぼ家に子供と軟禁状態に。
世間の流れと同様に、
退屈させないために家でいろいろなものを手作りする。
こうして当事者の生の声を聴くと、
子供と親の軟禁状態って本当に大変なんだなと思う。
特に緊急事態宣言の時には、
仇やおろそかに外出などままならん状態で、
そりゃ乳幼児を育てていたらそのエネルギー発散のための親の努力、
涙ぐましくて尊敬してやまない。

毎日の生活を楽しくしようと奮闘していたコロナ禍以前、
そのエネルギーは違うことに費やされることとなり、
何となく文からも感じられるストレスやうっぷん。

思えば自分もそうだったなぁと思うのだ。
この3年間電車に乗るにもおどおどしていた。
満員電車に乗るのがイヤで始発電車での出勤を始めた。
帰りも一目散に帰れば何とか空間が保たれた電車で帰れる。
映画館も一時閉鎖されたときは、
なかなかに気が滅入る日が続いたが、
配信サービスやWOWOWで楽しめたし、
映画館が開いたらさっさと通うようになり、
いつもより空いている空間を楽しんだのだが、
それでも常にマスクをしている苦痛と、
何となく人と接触する距離にストレスを感じていた。

そんなわけで、
筆者が久しぶりに外に出てぼーっとした、
ものすごくホッとしたという話に共感した。
この3年見えない圧力で自分も緊張が続いていたのだ。
家に帰れば一人だから気が抜ける。
映画も買い物も一人なら目的だけですぐ帰れる。
気楽なようでそれはそれでプレッシャーだった。



最後のエッセイ、
新幹線の中で子供に2時間半しゃべり続けたお母さんに向けてのエール、
これには本当にグッと胸が熱くなった。
少子化対策と騒ぐくせに、
世間の空気は子供連れに厳しい。
母親は「ごめんなさい」を連発し、
周囲も「うるさい」「邪魔だ」という気持ちを隠さない。
こんな空気の社会で子供を産んで育てる?
それこそ少子化に逆行するような空気、
これをどうにかしないとだめじゃないのか?キシダさんよ。
思いのたけをつづった言葉に、
思わず私は快哉を叫んだ。
子供を産んだことも育てたこともないけれど。

コロナ禍があぶりだす人間の分断。
それはもしかしたら子供にも向けられているのかもしれない。
「とりあえずお湯わかせ」から始まったエッセイは、
子供を育てる母親に対するエールという形で、
ちゃんと物語として成立していると思った。
ある意味ものすごいノンフィクションだ。




コメント(0) 

「世界金玉考」 [電子書籍]


世界金玉考

世界金玉考

  • 作者: 西川清史
  • 出版社/メーカー: 左右社*
  • 発売日: 2022/11/29
  • メディア: Kindle版


なぜぶら下がっているのか?
なぜたぬきのキンタマは大きいのか?
そもそもなぜ“キンタマ”と呼ばれているのか? etc.
その誕生の瞬間から、世界各国のキンタマスラング、勝海舟や西郷隆盛など偉人たちのキンタマ逸話、尾崎士郎や正岡子規など文豪によるキンタマ文学、ミケランジェロのダビデ像にいたるまで、∞(無限)に広がるキンタマの世界に迫る。追えば追うほど謎は深まり、好奇心に気持ちはぶらぶら……黄金の秘宝を求める冒険家のごとくキンタマに挑んだ著者渾身の一冊。
読んだ後では世界の見え方がぐるりと変わる、史上初のキンタマ読本!

きっかけはラジオ。
「大竹まことのゴールデンラジオ」のゲストに著者がやってきた。
この著者がとにかくプレゼン上手なのだ。
饒舌とは違うのだが、
とにかく本の内容の面白い部分を実に効果的に話す。
私は胎児のときにいかにして男性器が作られるのか、
その過程を聴いただけで夢中になってしまった。

「生物の原型は全部女性。 
 そこから男性は男性ホルモンによって変化していく。
 無理を重ねているので男性は女性より寿命が短い」

何とも愉快な話じゃないか。
男性の肋骨から作られたといわれていた女性だが、
生物学的には生命の始まりは全部女性なのだ。
金玉の存在はさておいてそのことが愉快だった。
そして「こういうことを本にする人だから読みたい」と思った。

結論。
とにかく面白い。
自著ながら終始ぼやきながらの取材と執筆。
そりゃそうだ。
男性が「女体の神秘」を解明して執筆するならともかく、
自分にもついている男性器の一部、
そのものとずっとずっと相対することが要求されるのだ。
ぼやきたくもなるであろうというものだ。
そしてそれを隠さないのが最高によろしい。

様々な側面が金玉にスポットライトを当てるのだが、
意外なことに解明されていないことも非常に多いのだ。
「神秘の人体、金玉」である。
何しろ金玉を持つ動物とそうでない動物がいる。
すなわち精巣が体内にある動物が存在する。
すると「ラジエーター」の役割と言われる意味がわからなくなる。
こればかりは専門家の研究を待つしかないが、
果たして解明される日が来るのかはわからない。
更にラジオでも紹介されていたが、
正岡子規の俳句が何とも切ない。
結核による脊椎カリエスで死を待つのみの身の上で、
無聊を慰めるかのようにおのれの陰嚢を詠む。
文学における金玉の存在は、
人間とともにあるからこそ面白いものだ。
それは芸術においても変わらない。
なんだか知らないが、
とにかく巨大な金玉がどんどん登場してくる。
はて、竿がでかいならまだしも、
金玉がでかいのはじまんになるのか?
それともただの物笑いの種なのか?

かようにして様々な側面から金玉を研究する本作、
文体の読みやすさもあって、
あっという間に読めてしまう。
そして残るは金玉に関する知識というか雑学というか。
いや、こんなにつらい世の中だからこそ、
こういう本を読むことも大事なのだと思えてくる。
扱っている題材が題材だからいろいろ邪推するかもしれないが、
本作に限ってエロいところは全くと言ってないと断言する。
エロいと思う間もなく楽しくて楽しくて、
どんどん読み進めてしまうのだから困った困ったw。

今読んでいる本を中断してまで読んでしまった。
最近読んだ中ではクリーンヒットな一冊である。

コメント(0) 

「自民党の統一教会汚染 追跡3000日」 [電子書籍]


自民党の統一教会汚染 追跡3000日

自民党の統一教会汚染 追跡3000日

  • 作者: 鈴木エイト
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2022/09/26
  • メディア: Kindle版



〈事件の10か月前、この宗教団体のフロント機関が主催するオンライン集会に予め撮影したビデオメッセージでリモート登壇した安倍は基調演説の中で、教団の最高権力者への賛辞を述べていた。全世界へ配信された安倍の基調演説を見た山上は犯行を決意。この“動機”は山上の思い込みなのか、それとも一定以上の確度をもって裏付けられるものなのか。その検証は第2次安倍政権発足後、9年間、3000日以上にわたって自民党とこの宗教団体の関係性を追ってきた私だけがなし得るものだった。日本の憲政史上最も長い期間、内閣総理大臣を務めた安倍が殺害されるに至った道程を記す。〉(プロローグより)

あの日のことはよく覚えている。
忙しい6月を過ぎて、
まだ期日のある仕事は抱えているが、
それでも少し余裕があった仕事の時間、
11時半ごろスマホに速報が表示された。
「安倍元首相倒れる」
確か第一報はそんな内容だった。
病気?怪我?
まだ情報はそれ以上はいらない。
そのうちお昼休みになって情報が変わってきた。
参院選の応援演説中に襲われた?
銃撃された?
昼休みが終わるころには、
首周りに鮮血が見える安倍元首相の写真も見られた。
その後「心肺停止状態」の報道があり、
「ああ、最後に看取る人が行くまで延命しているのだな」
つまり本当はなくなっているのだということを知った。
もちろん元首相が街頭で簡単に銃撃されるなど論外な出来事だ。
人がたくさん集まっていただけに多くの写真がSNSにも上がった。
驚いたのはSPや奈良県警の警護の様子だ。
TVや映画で見るSPは文字通り人間の盾であり、
銃声がしたらまずはマルタイを伏せさせて自分がその上に覆いかぶさる。
ところが実際の映像では全くそんなことをしていない。
「こんな警護で許されるのか?それともわざとなのか?」
おまけに犯人はすぐに確保されたが、
手製の銃で銃撃しているという何とも予想もしない状況。
すわ「こいつはオズワルドなのか?」と思う。

しかしその後明らかになった背景によって、
なんと久しぶりに「統一教会」の名前を聴くこととなる。

その昔統一教会は複数の芸能人を含む合同結婚式でワイドショーをにぎわせた。
教祖が指名した者同士が結婚をする。
恋愛の自由も結婚の自由もそこにはない。
大して興味もなかったので特にそれ以上の興味はなかった。
その後仕事の後輩が昔統一教会に片足を突っ込んでいたことを知る。
その時彼の口から統一教会の勧誘から、
完全に信仰の虜にしてはめる手口を知る。
それでもその彼が入信せずに足ぬけしたきっかけは、
「自由恋愛、結婚禁止」というところがどうしても理解できなかったからだという。
まだ正常な判断力が残っていたことに感謝するしかない。

で、それから30年近くなるので、
実はその間統一教会の名前はすっかり忘れていた。
まさか「世界統一連合」などというふざけた名前に改称していたなど知る由もない。
だから山上容疑者の動機として「統一教会」の名前が出たときに驚愕した。
奇妙な宗教団体だとは知っていたが、
カルトという認識もなく、
まさか信者から献金を巻き上げていたなんて知らなかった。
その後報道で明らかになる団体の姿、
併せて調べていくと岸信介がこの団体を日本に招き入れ、
私邸の一部を使わせていたという真実に行き当たる。
あの安倍が父親よりも信奉する祖父が、である、
そこで自分なりに腑に落ちてしまったが、
実際はそんなことではない。

きっかけは下野したことだった。
民主党政権となった時から、
安倍は集票、自動部隊として統一教会に接近する。
向こうからすれば「しめしめ」である。
メディアには鈴木エイト氏の名前が出てきて、
彼がただ一人30年追い続けた旧統一教会の姿が白日の下にさらされる。
多くの自民党議員が彼らの支援を受けて選挙を戦った。
その数はあまりにも多くて簡単には把握できない。

というところで本書の登場である。
旧統一教会の歴史から教祖文鮮明の言葉、
いかにして自民党は彼らと抜き差しならぬ関係になったのか。
文科省が決して許さないとしていた名称変更の裏側は?
今もその関係を自らの口から明らかにしない議員たちの、
旧統一教会とのかかわり方。

もう本当に恐ろしい限り。
クズのような政治家たちに好きなようにされ、
この国の政治が腐っているのはわかっていたが、
まさかかつて韓国を支配していた日本に対して、
恨みつらみを蓄積させて、
それがゆえに日本人からの多額の献金を当たり前とし、
まさにカルトとしてこの国の中枢に食い込もうとしているその実態、
それを知ってか知らずか受け入れる政治家たち、
そのあまりの醜悪さに胸が悪くなる。

今まさに宗教2世が話題になっていて、
親が信奉する宗教によって不幸になる子供たちの声が上がっている。
基本的に宗教というものは、
心の安寧のためにあるものと思っていたが、
それはもはやただの理想らしい。
アメリカにおけるキリスト教福音派も同様で、
とにかく自分たちの教義を通すために政治に食い込み、
政権の行方を左右しようとする。
狂信的な宗教の悲劇、末路は様々だが、
政治に守られればその心配も軽減する。
だとしたらこれから先、
自民党と旧統一教会はどうなるのか? 
 
教団内での養子あっせん問題も行政指導文書どまり。
気が付いたらこの国の中枢は・・・。

なんてことにならないことだけは祈っている。

コメント(0) 

「兄 かぞくのくに」 [電子書籍]


兄 かぞくのくに (小学館文庫)

兄 かぞくのくに (小学館文庫)

  • 作者: ヤンヨンヒ
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2013/09/06
  • メディア: Kindle版


人生に「もしも」はない。私たちの家族のひとりが「もしも・・・」と口にした時点で、きっと私たちの間で何かが壊れる。それが「何か」はわからないけれど、私たちの誰もが、この言葉を口にしたことがない。でも私は思ってしまう。もしも兄が帰国していなかったら?(本文より)~1960~80年代に日本から北朝鮮に10万人ちかくが移住した「帰国事業」。旗振り役だった総連幹部の一人娘として生まれたヤンヨンヒ監督。パラダイスを夢見て北朝鮮に渡っていった3人の実兄と日本に残った両親とヤン監督。国家や思想によって引き裂かれてしまった「かぞく」に突きつけられた厳しい現実をリアルに綴った感涙のドキュメンタリーノベル。昨年「映画芸術」2012年日本映画ベストテン第一位、第86回キネマ旬報日本映画ベストテン第一位、第55回ブルーリボン賞作品賞、第64回讀賣文学賞戯曲・シナリオ賞ほか各賞を総ナメした話題の映画「かぞくのくに」の監督が涙ながらに綴った原作本。

映画「かぞくのくに」を観たとき、
私はこの国と北朝鮮について何も知らな過ぎた。
もちろん知識としての北朝鮮の現在と、
帰国事業やとんでもない飢餓に見舞われた時代も、
知識としては知っていたし、
38度線の緊張状態というものも映画や映像の知識ではわかっていた。
しかし実際に家族を帰国事業で朝鮮に渡航させ、
そのあとも生活の苦しさから、
日本からの仕送りが欠かせなかったことや、
そもそもどういう人が帰国したのかを詳しく知らなかった。
映画で描かれた兄の存在が、
家族にとってどういうものなのかもわからなかったし、
ただひたすらに国家に従順に生きること、
「思考停止」に自分を追い込むこと、
その恐ろしさというものを目の当たりにした気持ちになっていた。

この本を読むことで、
ヤン家が朝鮮総連の中でどういう立場で、
どういう形で帰国事業にかかわり、
なぜ最後の息子まで指名されて帰国したのか、
詳細がわかるにつれて、
かの国の国家としての理不尽さや、
その国に忠誠を誓うことによる恩恵と損害、
その果てに息子たちがどうなったのか、
思ってもいなかった現実を知って、
ただただ呆然として、
「人の権利とはなんなのか?」と思わざるを得なかった。
「理不尽」という言葉はこの国の体制のためにあるのか。
そんな風にも思ったが、
社会主義国ではそういうことが当たり前なのだろうし、
指導者を盲目的に崇拝することは、
ある意味宗教にも似て心のよすがなのだろう。
日本を知っているからこそ、
その体制の奇妙さに気づいてはいるが、
その思いを徹底的に隠さなければ、
帰国者はまともに生きていくこともできず、
社会主義で信じられないことだが、
徹底した階層によって生きる道が決められた国民は、
理不尽によって制圧されることに慣れてしまっている。
それが当然として受け入れなければ、
徹底した再教育が待っているだけ。
或いは命すら危ない。

これを読んでしまうと、
小説である「朝鮮大学校」が生ぬるく思えてくる。
小説よりも現実の方がよほど奇妙で、
よほど生きるのがつらくて厳しい。

しかしなぜ親子はそんな思いをしてまで、
朝鮮のイデオロギーに忠誠を誓ったのか。
それは「スープとイデオロギー」を観た今だから理解できるし、
逆にオモニが一生懸命仕送りをした結果、
今はどうなっているのかということもわかっている。
いや、わかっているからこそ、
この本の内容の残酷さが際立った。

順番としては逆だったのだが、
先に「スープとイデオロギー」を観たからこそ、
なぜ済州島に産まれながら朝鮮籍を選んだのか。
帰国事業に息子3人全員を朝鮮に送ったのか。
朝鮮の生活がどれほど厳しいものなのか。
爪に火を点すようにして朝鮮に仕送りを続ける母。
兄3人が朝鮮に行ってしまったからこそ、
彼らに会うたびに言われる「ヨンヒは自由に生きろ」という言葉に重さ、
その言葉を受け止めて自分の生きる道を模索した筆者。
それが嫌というほど、
とてもつらいと思えるほどに心にしみる。

日本人は今も韓国籍、朝鮮籍の人間をバカにする。
(もちろん一部の人間だが)
こと朝鮮に関しては、
その特殊な社会体制政治体制も含めて、
笑いものにすることを楽しんでさえいる。
しかし実際の帰国事業で朝鮮にわたり、
現実に帰国した人間がどのように生きているのか、
どのように国家から扱われているのか、
そんな事実を知らずにただ蔑んでいるだけだ。
かつて日本が併合していたからというだけの理由で。

ひどい矛盾だらけの国。
外から見ればそのほころびは明らかに見える。
だけどその国はその国として成立しているし、
中に飛び込めばもっと奇妙なことが見えてくる。
ヤン・ヨンヒ監督は今北朝鮮から入国禁止となっている。
父親と兄の墓参りもできない状態である。


コメント(0) 

「月夜の羊」 [電子書籍]


月夜の羊 紅雲町珈琲屋こよみ (文春文庫)

月夜の羊 紅雲町珈琲屋こよみ (文春文庫)

  • 作者: 吉永 南央
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2022/10/05
  • メディア: Kindle版


コーヒー豆と和食器の店「小蔵屋」を営むお草は、朝の散歩の途中、
〈たすけて〉と書かれた一枚のメモを拾う。
折しもその日の夕方、紅雲中の女子生徒が行方不明に。
その後、家出と判明するが、では助けを求めているのは、いったい誰なのか? 
日常に潜む社会のひずみを炙り出しつつ、読む人の背中を押してくれる人気シリーズ第9弾。

もう第9弾なのか。 
そりゃお草さんも歳を取るわけだ。
当初はもう少しミステリー仕立てだったけど、
最近はすっかりご近所の家庭問題。
今回も謎めいたメモ紙から、
女子中学生の失踪に、
紅雲中学の行き過ぎた校長の規制に、
知らないお宅で倒れていた年配の女性とかかわりあい、
そこから最後は一企業の不正にまで発展。

このシリーズを読み進めてしまうのは、
御大層な事件じゃないからかもしれない。
生きていれば誰でも遭遇するご近所案件。
なにせ小室さんのことまで気にしてああだこうだ言う国民だ、
そりゃご近所の問題は、
厄介ごとで自分に迷惑が及ぶのは嫌でも知りたいしあれこれ言いたいはず。
そんな国民性を見透かしたかのような事件と、
そこにやむなくかかわることとなりながら、
自分の正義として人間として最後までかかわるお草さん。
「わかるわかる」と思いながら、
「もうお草さんもそんなに気にしなくてもいいのに」と思い、
周りの人たちの心根の優しさにほっこりとする。
「小蔵屋」が近所にあったら、
何の用事はなくても思わず通ってしまうであろう、
そんな居心地の良さが文章からも漂っている。

ほんの少しの好奇心や、
ちょっとはしたないくらいの噂話。
そんなものに人の暮らしはあふれているし、
そんなものがあるから日々大きな事件はなくても、
ちょっとした刺激で楽しめる。
読者のそんな心根を満たしてくれる紅雲町。
ある意味「家政婦は視た」なのだ。

コメント(0) 

「朝鮮大学校物語」 [電子書籍]


朝鮮大学校物語 (角川文庫)

朝鮮大学校物語 (角川文庫)

  • 作者: ヤン ヨンヒ
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2022/06/10
  • メディア: 文庫


自由が故のしんどさなら、挑む価値がある──。分断を超えていく少女の物語
「ここは日本ではありません」全寮制、日本語禁止、無断外出厳禁。18歳のミヨンが飛びこんだ大学は高い塀の中だった。東京に実在するもうひとつの〈北朝鮮〉を舞台に描く、自由をめぐる物語。解説・岸政彦

友人から進められて「かぞくのくに」を観た。
同じように「スープとイデオロギー」を観た。
どちらも激しく心を揺さぶられて感動した。
その友人からこの本も進められたので信じて読んでみた。

そこは全く知らない世界だった。
朝鮮大学校。
北朝鮮の在日子女のための学校。
北朝鮮のために人材を育てるための学校。
全寮制の大学校の中は北朝鮮。
偉大なる国家元首をたたえ、
そのために努力し生きることを誓う。
両親が朝鮮籍を選んだがゆえに、
ミヨンはこの学校に入れられる。
彼女は演劇や映画にあこがれて、
大阪から東京に来られたことを喜んではいたが、
その窮屈な生活に驚きながらも、
自分が信じる方向に向かって歩み、
問題児となりながらも自分の生きる道を定めていく。

ヤン・ヨンヒ監督自身を思わせるミヨン、
甘酸っぱい初恋は、
その相手が朝鮮人であることに何の偏見も持たず、
ごく自然に受け入れてもらえたことは幸いであった。
一番偏見に満ちているのは、
学内の教師たちであり、
無理やり北朝鮮の思想に染めて、
偉大なる指導者のために生きることを強要することだ。

「イムジン河」などのエピソードから、
朝鮮学校の話は読んできたが、
内部の人間による、
詳細に描かれたその方針と思想はやはりショッキングだった。
その中で決して染まることなく、
自分の頭で考えておかしいことはおかしいといい、
意に沿わないことには従うことをしないミヨンの強さは、
青春小説としても励まされるものだろうし、
そのまっすぐさに感動するだろう。
結果としてミヨンがどういう道を選ぶのか、
それはある意味「かぞくのくに」とは対照的で、
兄弟のことがあるからこそ、
北朝鮮訪問でやっと会えた姉のことがあるからこそ、
ピョンヤン駅で見かけた現実があるからこそ、
彼女は自分の歩む道をしっかりと自分で決める。
そしてその先で再び交わりあう縁。
なんと心地よく温かく素晴らしい生き方なのか。

最初陰鬱な感じのする学校の状況から始まったので、
どうなるかと思っていたら、
ミヨンの自分を曲げない生き方と、
好きをあきらめないまっすぐさに救われる。
こんなにも気持ちのいい話と読後感になるとは思わなかったので、
余計に感動したし、最高だと思える最後だった。

ヤン・ヨンヒ監督を紹介してくれた友人には、
ひたすら感謝。

コメント(0) 
前の10件 | - 電子書籍 ブログトップ

- 人生は四十七から -