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「デューン 砂の惑星PART2」 [映画]



<ストーリー>
惑星デューンをめぐる宇宙戦争が勃発!
ハルコンネン家の陰謀により、アトレイデス家は全滅。しかし、最愛の父とすべてを失うも、後継者ポールは生きていた。ついに復讐の時―。運命の女性・砂漠の民チャニとポールの、全宇宙を巻き込む最終決戦が始まる。

実はPart1は劇場で観ていない。
当時はシャラメに興味もなくて、
かつコロナによる規制が少し緩んで、
次から次へと大作の公開ラッシュで観ている時間がなかった。
だから家でWOWOWの放送で観たのだが、
「これはいかん、劇場で観るべきだった!」と後悔した。
それと同時に、
「なんだ、なんにも始まっていないよ、これ」と思った。
つまりPart2に全てが詰まっていることが理解できた。
だからこれは絶対に劇場で、
それもIMAXで観なければと決心した。

中学生の頃、
死ぬほどSF作品を読みまくった。
当然この作品の原作も古典として読んだ。
そしてその続編もちょうどその頃出版された。
しかし45年も経てば、
きれいさっぱり忘れているものであるw。 
設定は覚えているし、
リンチが制作すると聞いたときには、
「無謀なことを」と思ったものだが、
設定や粗々のストーリーは覚えていても詳細は覚えていない。
しかし劇場の中に若者が少なくて、
自分と同じくらいの年配者以上が多かったのは、
やはりあの頃の思い出がある人たちなのではないか、
だとしたらドゥニ・ヴィルヌーブはスゴイことをやってくれた。

まずは結論から先に書いてしまったが、
来年のアカデミー賞の視覚効果賞と美術賞は間違いないかな。
小説で読んで頭の中で描いていた世界が、
あれほど見事に映像化されたら、
フランク・ハーバードのファンにとってはたまらないだろう。
帰宅してしばらく「ホドロフスキーのDUNE」を観たのだが、
これが実現していてもすごかっただろうが、
残念ながら今のVFXには及ぶべくもない。
そしてリンチの作品は様々な不幸もあって、
イマジネーションは決して素晴らしいとはいえなかった。
所詮リンチは現実世界の中の違和感、
その世界で映画を作らせたら鬼才なのだ。
SFやファンタジーが得意な人手はない。
「ブレードランナー 2049」を観た時に、
リドリー・スコットの世界とは全く違う、
乾いたどこか味気ない未来の描き方と、
非常にウェットな結末と、
ブレードランナーでありながら妙に人間くささを漂わせる、
そんな雰囲気に不思議な感覚を抱いた。
だからこそ砂の惑星の乾いた感じに、
血と汗と涙の歴史を刻んだ世界を作り上げることができたのかもしれない。
おまけにこれだけの俳優を揃えたら、
そりゃもう文句のつけようなどあるわけもなくて。
特に最後の1時間。
一瞬も目を離せないし、
ポールの復讐が情け容赦なく描かれていく。

この物語には続きがある。
あの終わり方は次があることを想起させる。
もちろん興行次第であろうし、
金を出す人がいなければ続かない。
配信全盛のこの時代、
何があってもおかしくないのだが、
とにかくこの手の映画だけは劇場のスクリーン、
それでもできればIMAXで大画面と大音響で楽しむべき、
身体が震えるような衝撃が来る感動は、
絶対に他では味わえないものだから。

シャラメとゼンデイヤとフローレンス・ピューの三角関係。 
そりゃ描いてほしいに決まっているw。

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