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「オッペンハイマー」IMAX鑑賞 [映画]



さていよいよノーランの本領発揮、
IMAXで鑑賞しようと入場までベンチで待っていたら、
なにか見覚えのある顔が視界を横切る。
息子さんらしき人と連れ立った高橋源一郎さん?
あれはもしや高橋源一郎さん?
鎌倉にお住まいだからここに来てもおかしくない。
いや、普通は横浜方面に行くだろうけど、
横浜駅前ではDolbyシネマ公開だし、
もしかしたらこっちのIMAXを見に来たのか?
勝手に@オッペンハイマー」を見に来たと思った。
ちょっと後を追いかけて「うむ」。
トイレに行って一旦落ち着いて、
あ、やっぱり源ちゃんだ!と思ってお声がけ。
やはりオッペンハイマー」鑑賞でした。

てなわけで、
映画を観る前からテンションマックスw。

今回ものすごく感じたのは、
オッペンハイマーという人はあくまで理論物理学者であり、
あくまでも各々の才能をまとめ上げたに過ぎないということ。
そしてその理論では、
もしかしたら世界を滅ぼす可能性すら予見していた。
それでも彼が止まらなかったのは、
自らの理論を証明せずにはいられなかった学者根性。
そして様々な部分で認められながらも、
圧倒的な賞賛が得られる軍から舞い込んだとんでもない規模の仕事。
でもその結果は彼が予想した以上のものであり、
彼は自分達の作り出したものがもたらした結果から目をそらし、
世界を焼き尽くさないまでも、
広島、長崎の人々と土地を焼き尽くし、
その結果彼のその後の人生は、
プロメテウスよろしく拷問にさらされる。
彼は自分の欲望と良心に従った。
ドイツが降伏して日本に投下するとなった時も、
「必要ない」「やるべきではない」という声もわかっていたが、
学者としてリーダーとして、
作り出したものの結果を見ずにはいられなかった。
それが一生涯彼を悩ませることになっても。
テラーの提唱する水爆に強固に反対したことは、
同じ理論物理学者であるテラーの実績を疎外するものでもあり、
おそらくは恨まれて憎まれもしただろう。
二度目の公聴会と聞き取り調査はやはり疲れた。
一言一句聴き逃すまいとする気持ちと同時に、
全開聴き逃した言葉はなかったか、
質問、尋問に反応する一挙手一投足、
見逃したところはなかったか、
緊張感を持って観てしまうと言うのがホンネ。
それに関してIMAXは素晴らしい効果。
本当に没入感を持って観られたし、
あの大画面の中心に人物をすえて字幕を観るのが、
こんなにも臨場感があるとは思わなかった。

それにしても。
おそらく良妻賢母ではなかったであろうキティ、
彼女は自分自身が見識のある人間であり、
かつ学者だっただけに強靱でしなやかで、
夫の危機にも自らが立ち向かう。
そして最後の最後、
あの表情は圧巻だった。



今日の帰りのカップルの会話。
女性:「安全保障とかそんなの別に知りたくないんだよ」
男性:「いや、あれが撮ったから面白いかと思ってさ」
多分彼氏から誘ったんでしょうね。
で、女性はおそらく原爆の完成と投下シーン、
その後の日本などを想像していたんでしょうな。
「あれ」とはノーランのことでしょう。
でも残念ながらその「安全保障」において、
オッペンハイマーはもう任せることはできないと断罪されたし、
それはストローズのコンプレックスと屈辱からはめられた罠だし、
それこそがオッペンハイマーが「原爆の父」と言われながらも、
その後国家的プロジェクトから外された原因。

思えば「バーベンハイマー」で盛り上がったアメリカ人も、
もしかしたらあの会話劇はどうでも良かったのかもしれない。
オッペンハイマーによるマンハッタン計画で、
原爆が作り出されて広島、長崎に投下され、
それによって日本が降伏し(実際にはその前に決まっていた)、
戦争を終結させたと言われていること、
そのことが大事だったのだろう。
「アメリカが原爆を作って投下したことの正当化」を描いたと言う人もいたが、
ハッキリ言ってイギリス人であるノーランがそんなことを描く必要性がない。

政治と軍事と科学。
これは切っても切り離せない。
そこに民族問題や人種問題。
そうなったらもう泥沼だ。
でももし次に核が使われる日が来るとすれば、
それは政治的な要因か、
人種、民族的な要因か、
いずれにしてもそこに合理性などない。

核の脅威がなかった時代。
私たちはもう戻ることはできない。
そしてそこにある原発。
それもまた攻撃されれば武器に変わるのだ。



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