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「瞳をとじて」 [映画]



<STORY>
映画『別れのまなざし』の撮影中に主演俳優フリオ・アレナスが失踪した。 それから22年、当時の映画監督でありフリオの親友でもあったミゲルはかつての人気俳優失踪事件の謎を追うTV番組から証言者として出演依頼を受ける。取材に協力するミゲルは次第にフリオと過ごした青春時代を、そして自らの半生を追想する。そして番組終了後、一通の思わぬ情報が寄せられた。―― 「フリオによく似た男が海辺の施設にいる。」

芸術家やクリエイターの鼻っ柱をへし折ると、
こじれてとんでもない事になる。
素直に観れば、
「ああ、これだけのものを作るのに、 
 これだけの膨大な時間がかかったのだ」と思うし、
「エル・スール」の時間を巡る騒動を思うと、
「ああ、その無念をこうやって設定を変えて、
 かつとんでもない恩恵をもたらした女性を登場させて、 
 ここまでの物語を作り上げるまでに何十年?」と思う。
ちなみに私は後者。

「エル・スール」には続きがあった。
それを足すと合計3時間の上映時間になる。
それをプロデューサーが阻止したがために、
この物語を紡ぐのに40年かかったと言うわけだ。
行方不明になった俳優を探すのも、
その娘にアナ・トレントを廃したのも、
全ては監督の思いの丈を表現するためだったのだろう。
おかげでこの映画もまた3時間弱だ。
もう最近は2時間半を超える映画にビックリもしないが。

劇中劇である映画から始まる。
だからしばらくは掴みきれない部分があるが、
それでもちゃんと説明が字幕であるので、
とてもわかりやすい。
「オッペンハイマー」の逆効果がここでものを言う。
「ああ、映画ってこういうのが普通だよな」と。
美しい海辺の老人施設に身を寄せていた、
記憶喪失の一人の男。
それが失踪した俳優ではないかという情報。
彼の親友である当時の監督である主人公は、
今も彼の娘と連絡を取り、
彼が失踪した謎を追っている。
だから当然会いに行って確認する。
会えば記憶が戻らないかという淡い期待は裏切られ。
なぜだか彼は現状を受入ながら、
高齢者施設の修繕係として働いて住まわせてもらっている。
その彼と一緒に暮らしながら、
主人公の心にも変化が出てきて、
彼の娘を呼び寄せて引き合わせる。
そして彼が思いついた最後の方法は・・・。 
 
「彼の目を見ればわかる」

この言葉が肝になる。
そしてこれだけの人間関係を、
主人公の思いも含めて、
様々な関係の愛情や抱えている思いが、
様々に絡み合って、
或いは一方通行で、
切なくもあり哀しくもある。
そして最後の手段に出た主人公。
正直ひねくれた私は、
「あーあ、ここでもニュー・シネマ・パラダイスかよ」って一瞬思った。
「エンドロールのつづき」「バビロン」と、
映画にまつわる映画はどうしてもそこに帰結するので、
「安易な結末を」と思ったことも確か。

ところがどっこい。 
思いきりそれは裏切られるし、
さすが30年の思いの丈を振り切って、
思いっきり自分の好きなようにかはともかく、
納得のいくように頑張っただけある。
正直やられた。
ラストシーンが脳裏から消えない。
映画好きのわかったような予想を後悔した。
2時間49分一度も尿意なし。
途中多少意識は途切れたwが、
言葉と映像が静かに語りかけてくる時間、
良いことも悪いことも、
様々な登場人物も、
全てが含まれているあのラストカット。
出てきたのは涙ではなく深い吐息。

こう言う世界。
おそらくは唯一無二。
ビクトル・エリセ監督の真骨頂発揮。
ちょっと醒めた目で見に行ったけど、
やっぱり最後は違う目になった。

爆発力はないけれど、
静かに心を満たしていく。
これこそ映画の醍醐味。

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