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ちょっと思い出したこと。 [うつ病関連]

疲れがたまっているのか、
かなり限界ギリギリな状態。

で、そんな精神状態肉体状態なもので、
ちょっと思い出したこと。

以前うつ病を発症して、
自宅療養を始めたばかりの頃、
何も出来ないし考えられないけど、
だからといって一日は長くて、
仕方なくTSUTAYAでバラエティを借りて、
余りのバカバカしさに「爆笑した」と書いたら、
「笑えると言うことは健康ということじゃないか。」
そうある医師に指摘された。
主治医でもないし精神科医でもない。
でもその頃はうつ病という病気に対する病識も浅かったし、
自殺念慮が強かったので怖い病気だとは思ったけれど、
うつ病の本当に根深い原因とか遠因を考えたこともなかったので、
その言葉にちょっとショックを受けて、
毎日がつらい自分と、
バラエティを見て爆笑している自分がわからなくなった。

でも今はハッキリ言える。
「うつ病の人でも笑うことは出来る。」
いや、むしろ「うつ病だからこそ笑う。」と。

最近は「新型うつ病」(やむなく付いた名前であって本当はうつ病ではない)ばかり取りざたされるが、
「仮面うつ病」というものがある。
要するに精神も肉体も抑うつ状態にあるのに、
他人の前では普通に振る舞って暮らしている。
そしてやがてそれにも限界が来ていきなり自殺したり倒れたりする。
うつ病になる人間の多くは完璧主義で自分に厳しい。
だから「うつ病だから休みなさい。寝ることが今は仕事です」と言われても、
出来なくて何か出来ることを探してしまう。
「仮面うつ病」の人はより一層その傾向が強いのだと思うが、
とにかく限界ギリギリまで「普通」を装う。
だからもちろん笑いもすればジョークも言える。
自分が出来るギリギリ精一杯のことをする。
そして普通のうつ病患者だって、
感情がなくなるわけじゃないから、
多少反応は鈍くはなるが、
笑うことも喜ぶことも出来るのだ。

思えば当時の私は仕事も出来ず、
大好きな料理も思考がまとまらないので出来なくなり、
本当に毎日が苦痛だった。
その中でやっと自分が生きている確証を得られるものとして、
かなり下品で強烈なバラエティを見ることで、
自分の感情を刺激して笑うことが出来ると言う選択肢を見つけたのだ。
でもそれが終わってしまえば、
感情の起伏はまたもなくなり、
自分の精神と肉体に訪れる静謐があるだけだった。
悲しみの感情だけが増幅され、
ただ歩いているだけなのに涙が止まらなくなった。
究極にバカバカしいバラエティでも見て、
悲しみの感情にふたをして笑っている以外、
自分をごまかす術を当時は持ち合わせなかったのだ。

病気のために感性は鈍り、
自分を責め続け、
ただ理由もなく涙があふれてくる。

うつ病患者でも笑うことは出来る。
でもそれは人によっては「仮面」であり、
或いは悲しみの感情を押し殺すための道具である。
今でも疲れてくると、
負の感情を押し殺すような媒体を求める。
それは正しい反応だろうと最近思う。
自らを責めたり殺したりするよりも、
まずは負の感情にふたをするため、
私は毎日何かしらの楽しみと刺激を求めている。
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「なつひさお」と「たなかやすお」 [うつ病関連]

武田鉄矢の「今朝の三枚おろし」で耳にしました。
本来は統合失調症の症状が悪化するときのようですが、
うつ病でも同じようなことだと思い記します。

「なつひさお」とは、
強迫的な確認行為の原因となる。

な…悩んでいる
つ…疲れている
ひ…ひまで
さ…寂しい
お…お金がないorお腹がすいた

身に覚えがありすぎます。
「ひまで」はともかく、
抑うつ状態になったときの症状と原因、
当てはまりすぎて怖いくらい。
忙しくて時間が不規則で疲れていて、
眠れなくなって仕事でミスが続いてダメな自分に悩んで、
わけあって人と没交渉にしていたのですべて自分で抱えて、
貧困年慮に悩まされ続けていて、
お金がないからひまがあっても何もしない状態でしたから。

これに対しての「たなかやすお」。

た…食べる(お腹がすいてるとき)
な…仲間(寂しいとき)
か…語る、体を動かす(暇なとき)
や…休む(疲れてるとき)
す…すぐ相談、すぐ受診(悩んでいるとき、お薬を飲んでないとき)
お…おろす、送ってもらう(お金が無いとき)

その後どう変わったかといえば、
今も受診して主治医に思いのたけをぶちまけて服薬し、
疲れはたまらないうちにさっさとギブアップするし、
相変わらず仕事は一人で抱えがちだけど、
周りがなんとか助けてくれているし、
没交渉だった人たちとの関係も修復して、
お金に関しては父親に援助してもらったり、
要するに自分を甘やかすようになったということでしょうか?


健常者からすれば、
「ただ単に自分を甘やかしている」としか思えないでしょうが、
疲労の知覚システムが壊れている私たちは、
むしろ甘やかすくらいでちょうどいいのかもしれません。

一昨日から体調は悪かったのですが、
夜半に腹痛で眠れず、
朝から熱っぽくて頭が痛くてひざ下に力が入らない。
でも先週有給を1日取ったのに、
そうそう簡単に休めないという強迫観念で出勤。
会社で雑用が終わるころにはギブアップでした。
早退して整骨院に行き、
帰宅してお昼を食べて昼寝。
スッキリしました。
早めの「たなかやすお」は効果覿面でした。

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~ウツはわがまま病?その後~ [うつ病関連]

第321話・振り返り(8)

いろんなことを感じて、
いろんなことを書く人がいるな~と。

カフェさんの旦那さんは、
私からは典型的うつ病には見えないし、
じゃあ新型うつ病と断定出来るかと言えば、
私には新型うつ病の病識が足りないので何とも言えない。
おまけにAmebaの住人じゃないので、
コメント出来ないからここに書いちゃうけれど・・・。


「新型」と名のつく方は、
推測でしかないけれど、
双極性障害の一面を持っていると思うんですよね。
他罰的になったり浪費したり、
軽躁状態と抑うつ状態が混ざっているから、
そういう風になるんだと思うんですよね。
これは何度も書いた覚えがあるけれど、
どんな病気にも原因はあるわけで、
症状が現れたら、
それに対して根源的治療法があればそれを、
なければ対症療法をするのが普通のことで、
胃が悪ければ刺激物は避けるとか、
暴飲暴食はしないとか、
手術で治るなら手術するとか。
糖尿病は食事療法やインシュリン注射みたいな、
対症療法をしていくわけですよね。
ガンなら切って治るなら切るし、
放射線、抗がん剤その他諸々、
出来ることをするし、
治すためには患者自身も努力を必要とするのが当たり前。
うつ病だって同じです。
従来のうつ病の場合、
「病前性格」が存在するからには、
その性格を変える努力も必要というわけで、
最近では認知行動療法に力を入れていたりして、
ホント、マジでこれは大変な治療法なんですよ。
よく「うつ病は抗うつ剤を飲んで休めば治る」って言うけど、
それは症状が改善されるだけで、
「治る」というのとは全く別だと思うんです。
「うつ病になりやすい人」が存在する以上、
「なりにくい人」になる努力をしない限り、
再発の可能性は非常に高いのが現実。

繰り返しになるので、
「認知行動療法」の苦しさはもう書きませんけど、
「変わらない性格」部分と、
「変えなければならないとわかっている」部分、
そのせめぎ合いは今も続いているし、
なまじ「その思考が異常」とわかっているだけに、
どうしても感情が抑えきれずに言動や行動に出たときは、
のちのち自己嫌悪に陥りますから。
今なんて本当に同僚に助けられているし、
ボスもうつ病とは知らないけれど、
「ガンだった」という事実にかなりショックを受けていたので、
それで勘弁してくれているところもあるから、
私の場合は周囲に助けられているのだけど。

でもね、
肝臓が悪い人が飲酒を続けたら悪いことは確かで、
そういう人が飲酒を控えるように、
どんなタイプのうつ病の人も、
「自分を変える努力」は絶対に必要です。
「うつ病」は免罪符じゃないんです。
クスリで抑えられるのは症状だけで、
うつ病を抜本的に治すクスリはないんです。
「自分を変える努力」とは我慢ではありません。
自分の思考のどの部分がうつ病を誘発して、
抑うつ状態にまで引き込むのかを自覚すること、
そこから始まる「自分を知る努力」です。
横尾忠則曰く「性格とは心の癖」ですから、
癖ならば治そうと思えば治せるはず。
どうしても治らない性格もあるけれど、
それをマイルドにする努力は出来るはず。




と言いつつ、
自分でもまだ自分をもてあましているわけでして(^▽^;)。
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いつもの悪い癖。 [うつ病関連]

お暑うございます。
いえ、一時はよりはかなりしのぎやすいですが。
それでも湿度はかなりものでして。

繁忙期の疲れを引きずって、
暑さによる疲れが加わって、
今のわたくし、
感情の沸点がかなり低くなっております。

こういうときは八つ当たりもするけれど、
「どうせ自分が全部悪いんでしょ」という、
うつ病特有の自責が発現。
むしろ八つ当たりの方が、
自分を責めないだけ病気としてはマシという、
一般人には理解不能なことになりまして。
もちろん八つ当たりも自責もないのが健常なわけで、
その意味では私はやっぱり精神異常者なわけで、
本当に回りには面倒をかけております<m(__)m>。

主治医に言わせれば、
「性格だから治らない」そうで、
それをコントロールする術を身につけるしかないようで。


これが続くと、
また仕事辞めることになりますな。
本当に困った性格だ。
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「ダンナの ウツは私のせい?」 [うつ病関連]


ダンナの ウツは私のせい?

ダンナの ウツは私のせい?

  • 作者: カフェ
  • 出版社/メーカー: 主婦と生活社
  • 発売日: 2011/05/13
  • メディア: 単行本


内容紹介
人気ブログランキング「結婚」「うつ」部門などで1位を獲得。 話題沸騰の4コマブログ『ウツはわがまま病』がついに書籍化。 ある日、突然ウツになってしまったダンナ 第2子妊娠中の私。 ウツを理由に言いたい放題、わがまま放題のダンナ。 そんなダンナのカオスな言動に振り回され続ける日々。 ついには、ウツ治療を理由にダンナが離婚を迫ってきて…… ウツに苦しめられる人と、その人に苦しめられる人にも贈る 笑えない日常を前向きに笑い飛ばす 完全実録コミックエッセイ

Amazon徘徊中に発見。
で、申し訳ないけど、
ブログを探して一気に読破。
ウツはわがまま病?

まぁ正直に書いてしまえば、
一方的に奥さんの立場からのブログなので、
最後まで姿を現さない主治医だとか、
奥さんが知らない旦那の姿とか、
いろいろあるんだろうなぁと言う気もしますが。

しかしねぇ、
この旦那の姿、
更にはこのタイトル、
典型的なうつ病とは明らかに違うでしょう。
ここまで自分を責めない他罰的な症状は、
双極性障害か新型うつ病としか思えません。
或いは人格障害か。
旦那の親の言動とかを呼んでいる限り、
人格障害の可能性は否定出来ませんね。
ただ発症するまでは優秀なサラリーマンだったようなので、
「何が引き金になったのか」
そこが問題だと思うんですよね。
第二子妊娠中の発症と言うことは、
奥さんとの性生活が思うに任せなくて、
欲求不満になっているときに会社で何かあったとか。
かなり親の前や会社では良い子ちゃんみたいなので、
たぶん外で(風俗とか)発散出来ないタイプなのかも。
離婚するまでの過程での言動を見ている限り、
一方的に妻を責めたり、
或いは自分にいい人が出来ちゃうことを夢想していたり、
ひょっとすると性的な関係に原因があったりして。
ま、奥さんからすれば、
浪費癖とかわがままとかいろんなところが突出しているので、
そこには余り気持ちが行かなかっただろうし、
なにより妻は慰安婦じゃないんだし、
この奥さんの性格からしてそんなの我慢出来ないだろうなと。

私がこの奥さんの友達なら、
「あなたの所為じゃないよ。」と言うでしょう。
あとはやっぱり「かかっている医者にも問題があるんじゃないかな」とも。
ガンだって胃潰瘍だって頭痛だって、
どんな病気でもかかる医者で結果は大きく変わるのは事実。
私はうつ病以外は「セカンドオピニオン」で助かった口で、
子宮腺筋症も甲状腺ガンも、
最初の医者では「治療の必要なし」と言われたわけで、
その医者を信じていたら今頃まだ子宮痛でのたうち回っていただろうし、
甲状腺ガンは手遅れになっていただろうから、
自分が心底信じられる診断能力を持った医者を見つけること、
これは誰もやってくれないから、
自分の足で探すことが一番大事。
うつ病に関しては相性が良かったので、
波はあるしもう5年近くもかかっているけれど、
その分私のどん底も浮き沈みもよく知っていてくれるので、
全幅の信頼を寄せているし。

久しぶりにいろいろ書いちゃいましたが、
このブログと書籍は、
新型うつ病の家族や双極性障害の家族には、
けっこう参考になるところが多いと思います。
むしろこうなる前に、
セカンドオピニオンを求めて地域の精神障害センターに相談するとか、
どういう環境がこういう患者を増長させるとか、
事前に手を打つ方策のヒントがあると思います。
あとは「捨てる神あれば拾う神あり」ってことかな。

最近増えている新型うつ病(と思われる)の家族の物語として、
参考までにちょっとのぞいてみてください。
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切れた。 [うつ病関連]

とりあえず明日の午前まで出勤。

なのにすっかり気持ちが切れている。
心身ともに倦怠感で一杯。
本番はこれからなのに、
すでに戦意喪失。
なんか明日は雨だし、
出勤すら面倒くさい。
入院日も雨みたいだし。




このまんま入院も手術もブッチして、
会社もブッチして、
引きこもっちゃいたい。
たぶん普段目一杯気を張っているから、
「休める」気持ちがそうしちゃっているんだろうな。
こういうところがうつ病体質なんだろうな。
80%を持続するんじゃなくて、
120%である程度続けたらブツッと切れちゃう。

復帰出来るのか?
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少しだけ落ち着きを取り戻す。 [うつ病関連]

昨日は久しぶりに閑で、
午前中役所に出かけただけで、
午後はほとんどNETをしながら遊んでいた。
(おおっぴらに趣味の本を読めないのはツライ・・・。)

のんべんだらりん、
ぬらりひょんと午後を過ごしている間、
ほとんどネガティブ思考もなく、
自責も自分を追いつめる思考もなく、
落ち着いて過ごせた。
遊んでいるのはボスも承知だろうけど、
クビにしたけりゃしてもらって構わないし、
そのほうがよほどこっちは助かるってもんだし、
ま、どっちにしてもいい意味で開き直ったか。

前夜は観たいTVもなく、
本も読めるほど精神状態が安定しておらず、
録画してあった「中居・さんまの今夜も眠れない」を、
2年分観て爆笑。
作られていない会話の中の笑いって、
かなり精神的にいい影響があると思う。
コントとか漫才よりも心底笑える。

このまま無事波がすぎ去ればいいが、
そうは問屋がおろさないのが現実だろうなぁ。
いい加減かなり限界というか、
臨界点というか、
「もう溢れまっせ!」状態なので、
なんとか週内このままやり過ごしたいのだけど。
仕事をしている以上、
それは無理か。
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「原因へのこだわり」からの解放。 [うつ病関連]

「今度こそ『うつ』から抜け出す本」に、
「普段はうつ状態のことを忘れて生きる、が、一つの理想型である。
 これは、うつ状態になったと本人が思っている原因からの解放でもある。」
そう記述してある。

今度こそ、「うつ」から脱け出す本

今度こそ、「うつ」から脱け出す本

  • 作者: 下園壮太
  • 出版社/メーカー: 大和出版
  • 発売日: 2010/09/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



私の「原因へのこだわり」はわかっている。
それは、
私が3人の女性を殺したことだ。

一人目は母方の祖母。
私が産まれるちょうど二ヶ月前に脳卒中でなくなった。
妊娠8ヶ月の母が、
自分の母親が脳卒中で倒れ、
更に亡くなり、
そして通夜、葬儀と慌ただしく真夏に過ごしていて、
早産も死産もなく無事に産まれた私は、
祖母の命を食い物にしたのだとしか思えなかった。
小さなころは気にしなかったが、
育つにつれていろいろなことを考えるにつれて、
「私が産まれるために祖母を殺した。」と思うようになった。

二人目は母親。
身体が不自由になって8年余り、
長患いの面倒を家で見ていた私は、
頑固で気が強くて人の言うことなど絶対にきかない母に逆らえず、
「入院したくない、あそこの病院はいやだ」
そういう母親の言うなりになっていた。
その結果、正常な判断力を失った母親を見殺しにした。
最終的にケースワーカーさんの計らいで入院したけれど、
そのときには母の命運はつきていたのだと思う。
入院先で心筋梗塞を起こした母のそばで、
何分心臓マッサージをしても戻らない母を見ながら、
「このままでは脳死だ。
 その状態で生き続けるのは勘弁してくれ。
 もうこれ以上私たちをくるしめないでくれ。
 御願いだから終わりにしてくれ。」
残酷にも母の死を願っていた。
そうして母は死んだ。
この思いはそのときから私を解放したことがない。
ずっとずっと母親の「死を願った自分」を忘れたことがない。

三人目は母の妹、叔母だ。
その死の経緯はここにも書いた。
私が子宮腺筋症の手術で入院していたとき、
見舞いに来てくれたのが最後の元気な姿だった。
叔母自身仕事で忙しくしていた中、
「死ぬような病気じゃないから」と何度も遠慮して、
それでも来てくれた。
退院して少し体力が回復してきたころ、
別の叔母から一報が入った。
私が退院した翌日、
叔母はくも膜下出血で倒れて意識不明だった。
叔母は横浜市に住んでいたが、
偶々仕事先で具合が悪くなったために、
同じ藤沢市内の個人病院に入院していた。
そして再手術の最中に出血を起こして脳死状態だった。
もうすでにそのとき私は自分を呪った。
「命に関わらない病気の私が、
 地域で一番レベルの高い病院で治療を受けられて、
 命に関わる症状の叔母が、
 なぜ一個人病院で治療を受けなければならないのか。」
その皮肉を呪っていた。
そして叔母が亡くなると私は思った。
「私はもしかしたら死ぬべきだったのかも知れない。
 手術中に麻酔事故か何かで死ぬ運命だったのだろう。
 だけどまたしても私の悪運が叔母に乗り移ってしまった。
 だから叔母は死んでしまった。
 叔母を殺したのは自分。
 叔母の家族をあんなにも悲しませたのは自分。」
そして、その思いが私をうつ病へ走らせた。

健常者の思考からすれば、
私の思考が異常なことはわかっている。
私だって365日四六時中こんなことばかり考えてはいない。
それでも何かきっかけがあれば、
「殺人者」である自分を思い出すのである。
自ら手を下すのならば法の裁きも下る。
けれど私は何処か無意識に人を殺すことができるのだ。
それも自分の命を守るために。
私の脳の片隅にこの思いが巣くっているのだ。

今回は母親が亡くなったのと同じ年齢になることで、
この原因へのこだわりが復活したのだ。
そしてここ2年ばかりは社会復帰への必死さが勝っていて、
それすら思い出す余裕がなかったのだ。
今はむしろ原因へのこだわりを思い出す余裕があるのかも知れない。
11月は叔母の命日がある。

「原因探しはほどほどにして、
 今の状態を少しでも楽にする方策を探していくほうが、
 ずっと建設的だ。」

本にはそう書いてある。
そう、わかっている。
死んだ人は戻らない。
私がそう思っているだけで、
私が生きながらえていることと関係はないかも知れない。
だからこのことは考えないのが良いに決まっているのだ。





でもうつ病という精神病を患っていることで、
世間からは「困った人」になっているのかと思うと、
いっそ消えることで、
みんな祝杯を挙げるのではないかという気持ちも消えない。
これも被害妄想という症状の一つだとわかってはいるが。

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第9の関門は続く。 [うつ病関連]

毎度のことながら、
自分が落ちたときのバイブル。

うつからの完全脱出 9つの関門を突破せよ! (こころライブラリー)

うつからの完全脱出 9つの関門を突破せよ! (こころライブラリー)

  • 作者: 下園 壮太
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2006/10/21
  • メディア: 単行本



自らの存在に疑問を抱いている今日この頃、
この思いの原因は何なのか?

思った通り答えはあった。
「リハビリ中期に引き続き、うつになり始めのころに悩んでいたテーマが、いっそう大きな問題として頭をもたげてくる。これまでの親子関係、いじめ、失恋、友人の死、過去の悲惨な出来事などである。その問題は相変わらず存在している。うつから回復してきたとはいえ、その問題に対処できない自分は変わっていない。結局この問題のことを考えると、またうつ状態に戻る、或いはもう治らないのではないかと考えてしまう。こまた『もうこれ以上続けても無駄だ』と考えやすい。」
ここにこうしてタイピングすることで、
私は問題を再認識する。
そして対応策を読み返す。

「コツは決して一人で悩まないと言うこと。一人で悩むと、以前から慣れ親しんだ同じ思考パターンを繰り返してしまい、自責や無力感を感じやすくなる。だから、その問題を冷静に考えてみる。話をしてみる。うつのなりはじめとは違うアプローチをしてみる。同じこと、同じ考えをしていては、また苦しみが大きくなってしまう。」

これに関しては、
おそらく弱音が吐けるようになった分だけ、
主治医や同僚に愚痴っている。
もちろん一番頼りになるのは主治医だ。
でも近親者の死に対する自責の念について、
本当に話し合うべきなのは近親者であって、
彼ら彼女たちがどのようにとらえているのか、
どのように乗り越えてきたのか、
それを話し合うべきなのだろう。
「喪の仕事」を今更ながらしなければならない。
だけどそれがムリなことはわかっている。
彼ら彼女たちはその話題を避けている。
何よりなぜ私が自責の念を感じるのか理解できないから、
或いは「仕方がない」と割り切れる人たちだから、
私の思いを訴えても無駄なのだ。
だから自分でアプローチを変えるしかないと思った。

悪いことに、
この問題が頭に浮かんでくると、
最悪の対処法である「しがみつき」で自分にむち打つ。
今の私は最低最悪の状態に対して、
最低最悪の対処法をとっているだけだ。

こうなったら二つ目のコツに頼るしかない。
「具体的方法論がなくても、これまで学んできた『時期が来れば気分も変わる』を思い出し、三ヶ月後にもう一度真剣に悩もうというような気持ちで、問題を抱えたまま過ごすという工夫も効果がある。」
確かにとりあえず放っておいても、
この問題は何も変わらない。
何しろ死んだ人は二度と戻ってこないのだし。

と書いたところで気がついた。
そうだ。
答えはそこにあった。
「死んだ人は二度と戻ってこない」のだ。
私が悩もうが苦しもうが抑うつ状態になろうが、
ハッキリ言って死者にしてみれば、
「あんたの勝手」でしかない。
ある意味生き残ったものの傲慢でしかない。
自分が生きながらえた幸運ゆえに、
不運にも他界したものに自責の念を感じる自分に酔っている。
そういうことだったのか。
たとえ私が死に追い込んだのだとしても、
たとえ私の身代わりに死んだのだとしても、
それで悩んだところで彼らは甦らない。
こんな単純な事実に今まで全く気づかなかった。


いつも通りまたこの本に助けられた。
一面識もないけれど、
下園先生には本当に感謝している。
ついでと言っては失礼だが、
今回は伊集院光にも感謝している。
(わからない人は「のはなしさん」という参照願いたい)

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老いを受け入れること。 [うつ病関連]

今野雄二氏が自殺されたということでニュースになっていた。
私が20代のころ「11PM」などに出演していたし、
(ファッション的に)一番とんがっていたころだったので、
けっこうそのファッションにも言動にも注目していた。
享年66歳。

一般的に報道は「若年層の自殺」が問題になるが、
実際の自殺者(含未遂)として一番多いのは、
50代後半から60代の男性である。
「男の更年期」でもあるが「老化」「老後」の始まりでもある。
年齢階級別の自殺の状況

ここで思い浮かぶのは、
昨秋やはり自殺してしまった加藤和彦氏のことだ。
今野氏も加藤氏も、
どちらも生前はスタイリッシュだった。
「粋」とは違うおしゃれなスマートさだった。
「もしかしたらこういうタイプの人は、
 老いていく自分を受け入れられないのではないか。」
ふと私はそう考えていた。

加藤氏が亡くなった後、
北山修氏が追悼文に書いていたことで印象的なことがある。
それはこれから団塊の世代が「老い」を迎えるにあたって、
加藤氏の自殺を手本のようにしてはならないということだ(意訳)。
「老いる」ということは、
自らの容貌が衰えたり、
心身の能力が衰えたり、
そのために今までは一人で何でもできたことが、
「だれか」の助けをかりずには出来なくなったり、
「自分の思い通り」にならなくなることでもある。
特に完璧主義で自己愛が強いタイプであれば、
そのことを受け入れ難いに違いない。
「たかがこんなことが出来ないのか」
「つまらないことで人の手を煩わせるのはいやだ」
「若いころと違って疲れも取れないし肌もしみだらけになってきた」
そんな思いで毎日を暮らしていたら、
自らの将来(=老後)を悲観したとしても当然である。
そこで北山氏は書いている。
「老いを受け入れることは、
 誰かの力を借りて生きるのを受け入れることでもある」(意訳)
そういう意味で、
完璧主義で理想主義でスタイリッシュだった加藤氏が死を選んだことを、
この世代の「範」としては決してならないと。
「誰でも老いるものだし、
 誰かの手を借りたりすることも、
 容貌が変化していくことも恥ずかしいことではない」
そういう自分を受け入れることを今の団塊の世代にわかってほしいと。

今野氏の自殺の原因はわからないし、
明確な遺書を読んでみない限り、
どんな自殺者であってもその動機はわからない。
ただ北山氏が指摘するように、
高度成長期、終身雇用の日本で生きてきた団塊の世代が老後を迎え、
「モーレツ社員」だった人たちが、
人の力を借りたりしなければならなくなった時、
自分の衰えていく心身や容貌を目の当たりにした時、
絶望を抱いたとしても不思議ではない。
私でさえ日々衰える心身にため息が出るし、
容姿にだって様々な絶望感が去来する。
「それが当然」と思いながらも、
やはり「老化する自分」を受け入れがたい。

北山氏は以前から書いていたし話していた。
「日本人は汚いもの、醜いもの、傷ついたものを見たがらない。
 イザナギ、イザナミもそうだし、
 鶴の恩返しもそうだった。
 イザナギは黄泉の国で腐りかけたイザナミから逃げる。
 与ひょうは文字通り"我が身を削って"織物をしているつうをのぞき見して立ちすくむ。
 イザナギが醜くなったイザナミを黄泉の国から連れ帰り、
 与ひょうがつうを引きとめたなら、
 日本人のメンタリティは違っているはずだ。」
老いることは汚くなり、醜くなっていくことでもある。
その「老い」を受け入れることが、
日本人には求められることでもある。

やたらと「アンチエイジング」などといわれるが、
「素敵に歳を重ねること」と「アンチエイジング」はイコールではないと思う。
年齢に抵抗することが大切なのではなく、
年齢を巧く重ねていくことが大切なのではないか。
それが老いを受け入れるということなのではないか。
自分がこれから迎える「老い」に対して、
自分の身の回りの人たちの「老い」に対して、
今野氏の自殺はあらためて考える機会となった。
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- 人生は四十七から -